人が笑顔でなければ駄目な理由−その1

初めておいでの方は、下記目次から順番にお読み頂きますよう、お願い致します。

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人類の歴史とは、戦争の歴史でした。

 

過去3500年間のうち3256年間は、どこかで誰かが、必ず戦争を起こしていました。(戦争の世界史・日本文芸社H11年より)

計算し直すと、10年間のうち平和だったのは約7〜8ヶ月くらいです。

 

これが何を意味するかを記す前に、自然界は人間にとって、どんなシステムになっているかをお話ししたいと思います。

 

 

私がこの事実に気付いたのは、今から13年くらい前のことです。

 

アウシュヴィッツ平和資料館を見学した頃、「笑顔」が何を意味するかに気付いたことがきっかけでした。

 

アウシュヴィッツ平和資料館は、福島県白河市にありますが、当時は栃木県の塩谷町にありました。

その施設を見学して、猛烈にショックを受けて、人間は何をしてきたのか、深く、ふか〜く、考えさせられました。

 

そのあたりから、「人類は何故、この地球に存在するのか」という壮大な疑問が頭の中を廻り続け、やがて一つの結論に辿り着きました。

答えは、次の通りです。

 

 

 

  そんなこと、わかるわけがない・・・

 

 

 

またまた、馬鹿にして!

 

と思ったらごめんなさい、早とちりしないでください、この続きがあります。

 

その次に、私はこう考えました。

 

 

 

  わからないなら

  人類がこの地球に存在する

  大きな意義を作れば良い

 

 

 

そしてしばし、考え続けた結果、答えを出したんです。

 

それが、一言で言えば、次のようなことです。

 

 

 

  人は、人を幸せにするために存在する

  そのように、存在意義を決めるべきだ

 

 

そして、その根拠となったのが、笑顔です。

 

その理由を実感して頂くために、このブログを読んでくださっている皆様に、一つ宿題を出させてください。

 

本文を読んでから、次の土曜日までの1週間、宿題の内容を、しばし実感して頂きたいのです。

 

この宿題は様々な皆様にお話ししますが、いつもは、ほんの数分のお話で終わってしまいます。

 

でも今回は、およそ7日間、真剣に考えて頂きたいと思います。

そうすると、実感として、身体で感覚を掴めると思うのです。

 

それがわかると、「笑顔」が何を意味するか、この後のお話も頭に入りやすいと考えます。

 

と言うことで、宿題の内容です。

 

 

まず、結論からお話しします。

 

 

人は、人を幸せにするために存在します。

 

 

それができない人、それが出来ない世の中、社会、世界、地球は、・・・・。

自滅し、破滅し、消滅します。

 

つまり、存在が無くなるのです。

 

 

でも、人が人を幸せにする世の中は、社会は、世界は、地球は、・・・・。

 

人々は健康になって、元気になって、若々しくなって、活性して、繁栄して、長続きして、輪廻転生が順調に回転して、そして、永遠の幸せが続くのです。

 

 

実は、そんな事実を、そんな仕組みがあることを、私たちは、ものすご〜く簡単に、自分で実感できるのですよ!

 

 

それを、この一週間、体験して欲しいわけです。

 

ということで、そのやり方です。

 

 

ステップ1

自分が、ものすご〜く誰かを、憎んでいたり怒っていたりしていると、想像して感じてください。

もしくは、何か恐ろしいことがあって、身体中が恐怖で一杯になっている状態を想像して感じてください。

そんな想像をして怖い思いを持っているあいだ、自分の身体がどうなっているか、実感してください。

 

こわい、こわい、こわい、だれか、誰か! 助けて〜!

 

そんなとき、身体はカチカチ、恐怖でガチガチになっているはずです。

そんな状態の自分の身体を、実感してください。

 

 

ステップ2

今度は、真逆です。

自分は、いつも、ものすご〜く幸せだわ〜、いつも嬉しいことがたくさんあって、幸せ〜!!!!!と、想像してください。

ニコニコ笑顔になって、嬉しい〜!、幸せ〜!、と実感してください。

そんな想像をして、顔もニコニコ笑顔にして、そのあいだ、自分の身体がどうなっているか、実感してください。

 

嬉しい〜、ラッキ〜、幸せ〜、楽しい〜!!!!

そんな思いの時は、身体は緩やかで、フワフワ感があるようで、呼吸も楽になっているはずです。

そんな状態の自分の身体を、実感してください。

 

 

ステップ1とステップ2を交互に行うと、身体の違いが実感できるはずです。

 

それが何を意味するか、皆さん想像できると思いますが、次回までの7日ほど実践して、明確に感じたところで、文字で明確に読みましょう。

 

 

ちなみに、ステップ2の笑顔のほうを必ず後に行って、笑顔で終わらせてくださいね!!!

 

 

ということで、本日はこれでおしまいです。

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●20118年11月現在のテーマ

 

樹木希林さんの生き方に見る、お釈迦様の教えと自然の仕組みのお話

 

10月11日 生きる意味を持ってみて 

10月13日 樹木希林さんのこと

10月17日 因縁因果と3千円の御香典

10月20日 如是縁と孟母三遷

10月24日 今の自分を作ったのは過去の自分と縁

10月27日 輪廻転生は、宇宙自然界のシステムです

11月3日 地球の魂と身体のお話

11月10日 縁を作るってどんなこと?

11月11日 記録と記憶

11月24日 自然界の記憶

12月1日 生きるとは、影響し合うこと

12月8日 人が笑顔で無ければ駄目な理由−その1

生きるとは、影響しあうこと

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前回、以前にも増して上手な説明ができず、反省。

 

しかも、掲載後に改めて読み返し思わず、「どへた!」と密かに思いました。

 

で、そう思った途端に、「私の文章はどへた!」という思いが森羅万象の中に誕生し、一つの存在となりました。

そして同時に、私という存在の中にしっかりと記憶されました。

 

従って、その後に私がすべきことは、反省してもう少し上手な文章を書くよう努力することです。

 

それが「記録を塗り替える」ことに繋がり、人間的に向上し、時間に記録された状況を好転させることに繋がるわけです。

 

ところが、なかなかできないのですよ・・・。

 

皆様も、似たようなことで思い当たることあると思いますが・・・・。

 

でも大切なのは、「努力する」、ということですよね!

 

それが人生、とnogamamaは考えます。

 

 

さて、お話の続きに進みましょう。
 

 

AさんとBさんのペットボトルに対する行動がペットボトルの未来を変えてしまい、さらには、分子や原子レベルで地球の未来にも影響することは、ご理解頂けたでしょうか。

 

それが人間同士の間にも、同じように起こります、というのが続きのお話です。

 

でもここまで読まれている皆さんは、そうなっていることは、およそご存じですよね。

と言うか、このブログを読まなくても、ごく当たり前に真面目に生活している人なら、当たり前に何となく理解していることと思います。

自分と自分以外の人との関わりがお互いの未来に影響することは、十分ご存知だし、皆さん100%体験していらっしゃる。

 

誰かに紹介された人と恋に落ちるとか結婚するなんて、ごく普通の出来事ですが、これがまさにそんな状態ですから・・・・。

友達にいじめられて不登校になった、これも同じです。

口コミでサプリメントを買うなんて事も、その通りの出来事です。

 

とにかく、自分一人で世の中に存在して一生を終える、なんてことは不可能ですし、あり得ません。

 

たとえ引きこもりになって世の中と隔絶しても、食べ物は誰かが作ったものを買い、お茶碗も誰かが作ったものを使い、引きこもってゲームばかりしていてもゲームは誰かが作ったわけで、あらゆる物を便利に使うというのは、誰かのお陰で、しっかり影響を受けているわけです。

その上、引きこもりした人も、食べ物やお茶碗を買うことで作った人や販売者に影響を与えます。

 

ですから、「生きるとは誰かと関わり合い影響し合うこと」、に尽きます。

 

つまり生きるているからには、誰かから影響を受け続け、誰かに影響を与え続ける、ということになります。

 

それは、「死」ぬ瞬間まで続きます。

それどころか下手すると、死後の遺産整理に見るように、またお墓参りに見るように、死んでからもまだ影響し続けます。

 

そんな自然界の森羅万象のシステムが何を意味するか、ではどうしたら良いかというお話は膨大な数ほどあるのですが、それは今後追々にいたしましょう。

 

で、今は、樹林さんの生き方に関する内容へ進みます。

 

 

さて、自分が誰かと関わったなら、その関わった内容は、お互いの存在の中に「記録」されます。

 

今を生きる自分たちが、その出来事をすっかり忘却しても、存在の流れの中の記録は、未来永劫、消えることはありません。

あらゆるものごとは、起きた瞬間に誕生して存在が決定され、時間という存在の中にしっかり記録され、影響し合う双方の中に記録され、なにをどうやっても絶対に消えなくなってしまうのです。

 

 

例えば、冒頭に記した、私が前回の自分の記したブログ文を、「どへた!」と思ったお話。

 

そう思った瞬間に、「私の前回の文章はどへた!」という存在が誕生しました。

 

しかも私はこの「どへた!」という存在を、自分の存在の中に記憶しました。

自分で記憶し、ブログに記したわけです。

 

そしてこのブログに書いたことで、この文章を読んだ皆さんも、皆さんの存在の中に「nogamamaは自分の文章をどへた!と思った」と記憶します。

 

これは、とても大変な出来事なんです。

 

何故なら、後になって、私はあのときそんなことを考えたけど無かったことにしよう!と思っても、既に「nogamamaは自分の文章をどへたと思った」ことは存在してしまい、その存在を皆さんが皆さんの存在の中に記憶してしまったので、もはや消しようが無いのです。

 

仮に自分の存在の中だけであれば、時間の存在から誰かが記録を引っ張り出さないと見つかりませんが、他の存在の中に一旦記憶され記録が残ってしまうと、もはや、私がどうあがこうと、絶対的に消えることはありません。

それどころか、その記憶と記録は、皆さんがどう使おうが自由になってしまいます。

絶対的に消せないことは、時間の存在に記録されることと全く同じです。

 

こんなふうにあらゆるものごとは、森羅万象に存在したからには、100%以上、1兆パーセント以上、絶対的な確率で無かったことに出来ないのです。

 

 

量子生態学で、そんなことに気付いてしまった私は、いつも、あ〜恐ろしい!と思います。

テレビで国会中継なんか見てて、みなさんその答弁でホンマに大丈夫ですか〜、死んでから後悔しても知りませんよ〜、と思ったりするわけです。

 

正しくお仕事をされている議員さんが殆どと思いますが、たまあに見えないところで何か裏があって議題を持ち込む国会議員さんがおられるので、そんなことをついつい思うのです。

それに議員さんばかりでなく今話題の日産問題も、人間社会でどう裁かれようが、真実はしっかり森羅万象に存在として記録が残されるわけです。

 

 

こうした記録は、物質世界の人間として、肉体を持った存在から身体が消滅した輪廻転生の本来の存在に戻ったときにようやく、自分で見えるというか、気付くというか、思い出すというか、理解するというか、そんな感じなんだろうと思います。

 

 

こんな言葉があります。

 

 

「天地神明に誓って!」

 

 

昔の人は、この存在の記録と記憶のことを、直感的にご存じだったのでしょうか。

何しろ、「天地神明に誓って!」=「森羅万象の存在に誓って!」、としか思えません。

 

 

 

ところで、過去において人類は、どのくらい戦争をしてきたでしょう。

 

答えは、3500年間で3256年間、です。(戦争の世界史・日本文芸社H11年より)

計算し直すと、10年間のうち平和だったのは約7〜8ヶ月くらいです。

 

戦争の間、人類はお互いにののしりあい、自分の意見と違う相手を殺しまくり、自分の意見を押し通すことを、ひたすら思い続け行動し続けていたことになります。

 

私が量子生態学で「存在」というものにぶち当たったとき、この戦争の歴史が、森羅万象においてどのような存在の流れを起こし、今の時代へ影響してきているか考えました。

そして、愕然としたのです。

 

 

それが具体的に樹林さんとどう関係あるのか・・・、というところは、次回へ続きます。

 

 

あ〜、やっぱり、説明するためには、どうしても長文になりますし、難しいです。

どへた長文で、ごめんなさい。

 

 

 

自然界の記憶

目次のリンク、及び前回記事の十如是順番に間違いがあり、訂正しました。

大変失礼致しました。

 

なお、十如是の7番目までの正しい内容は、次の通りです。

 

「相 → 性 → 体 → 力 → 作 → 因 → 縁」

 

正しい順番で覚えて頂きますよう、よろしくお願いいたします。

で、覚えると言えば、本日は前回に続き「記録と記憶」のお話です。

 

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悪いことをしたけれど、誰も見ていなかったから大丈夫!とか、お友達と誰かの悪口を話したけど誰も聞いていないから大丈夫!とか、経験ありませんか?

大小あると思いますが、誰でも一度や二度はあると思います。

 

うっかり悪いことをしてしまう一般庶民とは別に、世の中には、悪いことだとわかっていても悪事を働く悪人もいます。

 

庶民でも悪人でもかまいませんが、いずれにしても誰も見ていないというのは、身勝手な思い込みです。

 

今の時代、防犯カメラにしっかり記録されるのと同様に、森羅万象のあらゆるものごとは、時間という存在の中に0.1%の洩れも無く、0.0000001%の洩れも無く、100%の確率で、時間という存在の中に記録されるのです。

 

でも、時間というのは目に見えません。

ですから、そんなこと言っても誰にも見えないから、時間の存在に記録されても、やはり人間社会では誰にもわからないじゃやないか、と思う方も居られるでしょう。

 

一応、それもその通りです。

人が見ていなければ、かまわないじゃないか、というのも、道理の一つです。

 

でも、それで済まないのが自然界です。

しかも、残念ですが、森羅万象の世界の記録と記憶は、それほど甘くありません。

 

自然界の記録と記憶は、回り廻ってその影響が、世の中を変えてしまう可能性さえ持っています。

 

 

前回、広辞苑で記録と記憶の説明を記しましたが、このうちの「記憶」をおさらいしましょう。

広辞苑に書かれていた「記憶」の説明に、生物体の影響がありました。

 

 

 

記憶=物事を忘れずに覚えておくこと、生物体に過去の影響が残ること

 

 

 

生物体と言えば、人間や動植物などを思い出します。

記憶の視点では、遺伝子を発想します。

ダーウィンの進化論も、記憶から派生した理論です。

 

遺伝子や進化論と同じように、量子生態学でも、地球も生物体として、過去の記憶が影響すると考えています。

 

量子作用レベルで、どんなふうに影響するか、Bさんのペットボトルで説明します。

 

 

山の中でBさんがぽいと捨てたペットボトルですが、その後、噴火により火山灰の中に埋没してしまいました。

山の木も草も火山灰で埋もれ、自然豊かな景色は、見るも無惨な光景に変わってしまいました。

 

それから長い時間が経ち、山には新たな木や草が生え、自然が蘇りました。

でも、昔々、ペットボトルが転がっていた痕跡は何処にも無く、後に登山に訪れた人々は、Bさんがそこにペットボトルを捨てたことなど、まるで知りませんし、気付きもしません。

 

でも、地球は知っていました。

地球は、Bさんがその山にペットボトルを捨てたことを、確かに、記録し、記憶していました。

 

時間という存在に記録されるのとは違い、地球には、別の形でBさんがペットボトルを山に捨てたという記録が残され、それが記憶されます。

それを証明するのが、ペットボトルを構成していた「分子」とか「原子」の「存在」です。

 

Bさんからすれば、ペットボトルを捨てたので、もはやペットボトルは自分からは見えず、ゴミは片づいたと思ったでしょう。

でも地球から見ると、地球の身体の一部である山には、Bさんが捨てたペットボトルが置かれてあるのですから、無いと考えようとしても無理な話です。

 

自分の顔の口の脇に、ご飯粒がくっついたようなもので、それに気付いたのと同じ話です。

 

自分の顔からご飯粒は取り除きましたが、取り除いたご飯粒のほうは、まだ存在しています。

そのご飯粒は、自分はあの顔にくっついていたと、ご飯粒の存在として記憶しています。

 

ご飯粒を自分で取り除くように、地球もペットボトルを風化させて無くしました。

 

地球も、ペットボトルを風化して無くしましたが、山に捨てられたことは記憶しています。

一方のペットボトルも、Bさんに捨てられたことを、ペットボトルとしての存在の中に記憶しています。

 

でも、ペットボトルが風化したら存在は無くなるじゃない、と思いますが、ペットボトルは無くなったわけではありません。

風化したペットボトルは、ペットボトルを作っていた、分子とか原子レベルに細かく分解されるだけなのです。

 

その分子や原子という存在が、自分はペットボトルになってBさんに山で捨てられた、と記憶しているわけです。

しかも今度は、風化した場所で、他の原子や分子達と結合して別の物になったります。

 

それは、存在が無くなるのでは無く、地球という生物体に、本来は山の中に無い人工的なペットボトルを作っていた分子や原子として入り、その周辺の分子や原子と結合し、地球という生物体に新たな存在として影響することになります。

 

そう広辞苑の解説通り、原子レベルで、記録と記憶が、地球という生物体へ影響するのです。

 

顔に付いたご飯粒も、キッチンの流しに捨ててしまえばそれで終わりと私たちは思いますが、ご飯粒を構成していた分子や原子は、流しから排水溝を辿りながら、存在は続いています。

 

いつか腐ってしまい、ご飯粒では無くなるかも知れませんが、ご飯粒を作っていた分子や原子として、自分たちはご飯粒になってあの顔にくっついた、という記憶を持ちながら、原子として、やがて違う物を構成します。

 

このように、あらゆる物を作っている分子や原子にも、輪廻転生があります。

それも、彼らは、記録し記憶しながら、輪廻転生を繰り返しているのです。

 

 

Aさんにより、ちゃんと所定のゴミ箱に入れられ、ゴミ処理場へ行ったペットボトル。

Bさんにより、山へ捨てられたペットボトル。

 

何気ない行動ですが、それらは全て、森羅万象の中では「存在」の流れの中で、記録され記憶されながら輪廻転生を繰り返しています。

それも、物質の世界では、原子レベルで記録や記憶され、輪廻転生しています。

 

それは、人間と人間との間でも同じです。

 

AさんやBさんと、それぞれのペットボトルとの関わりと同じように、人間と人間の関わりでも全く同じように、記録と記憶が、それぞれの人の存在の中に、影響しています。

 

その上で、私という存在、あなたという存在は、輪廻転生しています。

 

 

で、ここまでのお話、理解頂けたでしょうか。

 

なるべく、短く、わかりやすく、と思うのですが、それがホント難しい・・・どうやって説明したらいいの〜・・・・・と頭を悩ませているというのが、本音のnogamamaです。

 

 

 

記録と記憶

本ブログへ初めて訪問される方は、下記目次をご覧の上、最初から順にお読み頂くことをおすすめ致します。

石ころだって、生きてるよ!目次

 

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樹林さんのお話が、なかなか進みません。

でも、樹林さんの生き方を理解して頂くには、森羅万象の仕組みを知って頂くことが必要です。

従って、もう少し、量子生態学で見る自然界のことをお伝えしますので、ご容赦ください。

 

 

さて本日は、ペットボトルという存在の輪廻転生のお話の続きです。

 

AさんとBさん、人間によるペットボトルの扱い次第で、ペットボトルの未来が変わるというのが、前回のお話でした。

 

でも、それは、私たちにどう影響するのでしょう?

 

環境問題と人間社会の関わりとしては深い関係がありますが、AさんにもBさんの輪廻転生としては、それぞれの人生にはそれほど大きく影響は出ないでしょう。

 

え〜、そんな〜、その答え、馬鹿にしてないですか〜、と思ったかも知れません。

 

でもこれは、例え話の一つということは、お読みになっている皆さんは、もう十分おわかりですよね。

 

ペットボトルでは無く、Aさんと他のモノとの関わり方、Bさんと他のモノとの関わり方、Aさんの○○さんに対する姿勢、Bさんと○○さんに対する姿勢、全て同じです。

もし、人をゴミのように扱った場合、どのくらい影響力が出るかは、皆さんも想像できるでしょう。

 

いずれにしても、AさんとBさんの姿勢の違いが、十如是の「相 → 性 → 体 →力→作 → 因 → 縁」となって、自分の人生である輪廻転生の「姿」を造っています。

 

で、今日のお話で皆さんに知って頂きたいことは、次のことです。

 

AさんやBさんがペットボトルに対して行った行為は、記録され記憶される、ということです。

 

 

実は、あらゆる出来事、あらゆる存在は、「時間という存在の流れの中に記録される」んです。

同時に、それぞれの存在に関わる出来事は、「関係する存在の中に記憶される」、と量子生態学では考えています。

 

「記録」と「記憶」の違い、わかりますか?

 

ここで登場するのが、「広辞苑」です。

 

広辞苑は単なる国語事典ですが、日常語ばかりで無く、科学用語や物理用語も解説しています。それぞれの言葉を、丹念に調べて正確に意味を解説していることでも名高く、特許庁が審査で広辞苑の科学用語の解説を参考にすることもあるほど、信頼性が高い辞書なんです。

 

それで私も、言葉に疑問を持つと、広辞苑で調べることにしています。

 

というわけで、広辞苑で、「記録」と「記憶」を見てみましょう。

幾つか意味があるのですが、ここでは必要な内容だけを抜き出します。

 

 

 

記録=後に伝える必要から、事実を書きしるすこと

 

記憶=物事を忘れずに覚えておくこと、生物体に過去の影響が残ること、コンピューターで必要な情報を保持しておくこと

 

 

 

この解説を頭に入れて頂いたところで、量子生態学で言う輪廻転生に関わる、記録と記憶の仕組みを説明します。

 

 

 

出来事は、時間という存在の中に、記録される

出来事は、出来事に関わる存在の中に、記憶される

その後、記録と記憶によって、時間以外の種々の存在の輪廻転生の未来が決定される

 

 

 

あの2つのペットボトルのうち、Bさんのお話で説明します。

 

少し難しいし長くなるので、今日は「記録」のお話だけにしましょう。

 

 

では、「出来事は、時間という存在の中に、記録される」とは、どんなことでしょう?

 

 

大げさな例え話をしますが、わかりやすくするためなのでご容赦ください。

 

 

Bさんは、山登りの中で登山道にペットボトルを捨てたとしましょう。

 

ゴミ箱が無くリュックにしまうのも面倒で、そのうち土に戻るさと、何の思いも無く草の陰に捨てました。

 

その後、近くの火山が爆発しました。

 

当時、幸いにして登山する人は誰もおらず被害者はありませんでしたが、山の景色は一変しました。

 

火山灰が降ってきて、木々は埋もれ草も見えなくなりました。

そして、ペットボトルも埋もれました。

 

木々も草もペットボトルも、深く深く火山灰に埋もれ、周辺の景色は火山灰だけの世界になりました。

 

Bさんは、ペットボトルを登山道に捨てたことなど覚えておらず、年齢を重ねた末に亡くなりました。

自分は、一生懸命仕事をして一生懸命に生きた、と満足して亡くなりました。

 

家族も大切にしたし、友達とも仲良く生きられた、会社に貢献し、日本の経済にも貢献した、と満足して亡くなりました。

 

 

そして時が経ち、数百年が経ち、その山が噴火したことなど無かったように、新しい木々や草が生長して自然が戻っていました。

そんな自然に魅力を感じた人々は、古と同じように、登山をするようになりました。

 

けれども、誰も、ただの一人の人も、かつてそこに登山道があったことも、今と違う木や草により自然があったことも、当時その当たりに一つのゴミとしてペットボトルが転がっていたことも、知る人はいませんでした。

 

 

けれども、時間という存在の中では、確かにBさんという人がその登山道にペットボトルを捨てたことは、残されています。

 

この意味は、何となく、わかりますよね。

 

私たち人間は、時間が経ってすっかり忘れたことでも、数十年経た後に、あるとき突然、思い出したりします。

今とは関係が無く、すっかり記憶から消えていたけれども、思い出した途端、実際に起きていたっけと改めて気付いたりすること、ありませんか?

 

これは、今の自分の中では存在しなかったのですが、実際は、脳の奥深くに記録され、実際に起きていた事実の出来事です。

 

これと同じです。

 

 

ペットボトルを捨てたという行為を、Bさんは全く覚えていないのですが、時間という存在の中には、あらゆる出来事が確かに記録されるのです。

 

誰か特別な存在ばかりではなく、あらゆるもの、あらゆる人、あらゆる存在はその流れの様子が、「時間という存在」の中に、100%の洩れが無く、完璧に記録されます。

 

誰も見ていないからわからないはずだ、誰も記録していないから見つかるはずは無い、という概念は、「時間という存在」の中にはありません。

 

石ころを1こ、誰かがどこかで蹴飛ばしたなら、それは、「時間という存在」の流れの中に記録されます。

 

よくテレビで超能力者や霊能者が、未解決事件の現場を影像のように頭に浮かべることで事件を解決する番組があります。

これは、時間という存在の流れの記録から、関わる部分を見つけて引っ張り出しているわけです。

 

 

そんなふうに考えると、少し、恐ろしい気がしませんか?

自分の行いや思いなど、ありとあらゆることが、時間という存在の中に記録されてしまうのですから・・・・。

 

でも量子生態学では、時間という存在にはそんな記録システムがある、そう考えているのです。

 

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■追記11月24日

十如是の「力」と「作」の順番が間違っており訂正致しました。

失礼致しました。

 

縁を作るってどんなこと?

自然界には、どうやっても人間には動かせない、宿命的なメカニズムがあります。

そんな自然界の仕組みの一部に、私は偶然、気付いてしまいました。

 

その内容を知ると、自分が何故生きているのか、その理由を持つことができるようになります。

それは、人生を歩む道標になりますし、幸せな人生を作るためにも、とても役立つと思います。

 

このブログは、幸せに生きるためのコツとなる、私が気付いた森羅万象のことをお伝えするものです。

 

ただ、私が気付いた自然界のことは、現在の科学や宗教や道徳の考え方と、少しかけ離れた内容があります。

ですから途中からお読みになると、根本的に理解できなかったり、単独で読んでも内容がわからなくなってしまいます。

 

お読みになる場合は、下記目次から、日時の古い順にご訪問頂くことをお勧め致します。

 

石ころだって、生きてるよ!目次

 

 

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「輪廻転生とは、一方向へ進む回転システムにより次元を超えて存在が続く状態」、です。

その「存在」を、私たちは「魂」と呼んでいます。

 

 

私も、このブログを読んでくださっているあなたも、そんな「存在」の一つです。

ですから、「私もあなたも魂を持つ」と表現できるわけですね。

 

 

ところで、そんな「存在」が、いつ頃登場し誰が作ったのか、「私という存在」や「あなたという存在」が、というより、そもそも「存在」というものが、いつ、どのようにしてできたのかは、私にもわかりません。

 

でも、現実に、今、この地球という存在の中に、私もあなたも存在し、こうして日々生活していることは確かです。

 

ですから、私も、あなたも、今、現実に、「輪廻転生」という自然界の仕組みの中に生きていることになり、その事実を誰も否定できません。

 

輪廻転生という仕組みの中では、私もあなたも、何度も何度も、一方向の回転システムを果たしてきていることになります。

 

その回転が、「生まれ変わり」と言われるものに当たります。

 

 

 

今の私は、地球の年齢が40億年を経てからつい最近の、今から63年ほど前(私の年齢=nogamamaでなく既にnogababa・・・ですね)に、私の両親によって誕生しました。

 

時間という輪廻転生が、昨日の朝 → 昼 → 夜、というひとつの回転を終え、新しい今日が始まったのと同じです。

 

「時間という存在」が、新しい輪廻の回転として今日の朝が始まったのと同じように、今から63年ほど前に「私という存在」の輪廻転生で、今の人生という新しい回転が始まりました。

 

その輪廻の回転の始まりを、私の両親が作ってくれたわけで、両親がいなければ今の回転は実現しませんでした。

もし、違う両親により作られた回転の始まりであれば、私の人生は、また違うものだったでしょう。

 

 

でも、何故、私は、今の両親によって回転のスタートが始まったのでしょう?

 

この様子をお釈迦様は、「縁」と呼びました。

 

 

「縁」は、何となくわかりますよね。

 

結婚したい人が、「良いご縁がありますように」とお祈りするときに思う「縁」と、意味は同じです。

 

量子生態学的に言うと、「縁とは存在の繋がり」、です。

 

 

 

「私(nogamama)という存在」と、今このブログを読んでくださっている「あなたという存在」は、このブログを通して「存在」が繋がっています。つまり、「縁」が出来ているわけです。

 

このブログのことを、あなたが○○さんにお話ししても読まない場合は、「nogamamaという存在」と「○○さんという存在」は、「縁」が繋がりません。

 

つまり、「nogamamaという存在」と繋がるか繋がらないかは、○○さんは自分で選択しています。

 

 

以前記した「人生は十段階で作られる=十如是」のお話、覚えていますか?

まだ7段階までしかお話ししていませんが、7つまでは、下記の通りでした。

 

相 → 性 → 体 → 力 → 作 → 因 → 縁

 

この十如是も、「十如是という存在」となっていて、これも輪廻転生しています。

そして、存在の繋がり方は、縁によって大きく変わります。

 

縁は、次の回転を左右してしまう、大きな影響を与えます。

 

 

さきほど、○○さんは自分で縁を選択しました、と記しました。

 

私たち人間は、全て、自分で、「自分の存在」と「自分以外の存在」の繋がりを作っています。

つまり、あらゆる存在との繋がり方を、自分で決めています。

 

 

例えば、こんな状態です。

 

 

町を歩いていたAさんは、咽が渇いていました。

少し歩いたら自動販売機が見えたので、そこでペットボトル入りのジュースを買いました。

その場で飲んで、自動販売機の横にあった指定のゴミ箱に、空になったペットボトルを入れました。

ゴミ箱のペットボトルは、専門の処理業者さんが来て回収し、またプラスチックの材料になりました。

 

これは、「Aさんという存在」と「ペットボトルという存在」がジュースを介して繋がり、「縁」ができた状態です。

そしてペットボトルをゴミ箱に入れた時点で、その「縁」は切れました。

 

 

同じように、町を歩いていたBさんも、咽が渇いていました。

少し歩いたら自動販売機が見えてたので、そこでペットボトル入りのジュースを買いました。

Bさんはジュースを歩きながら飲んで、飲み終えたペットボトルをそのままポイっと、道路に捨てました。

捨てられたペットボトルは、道を転がって行きました。

やがてそのペットボトルは、踏まれて潰れて汚れてしまい、ゴミとして回収されました。

 

 

この「Bさんという存在」と「ペットボトルという存在」は、Aさんと同じようにジュースを介して繋がり、「縁」ができました。

その「縁」は、AさんもBさんも同様に切れたのですが、AさんとBさんでは縁の切れ方が違っていました。

 

 

こんな風景、どこでも見かけます。

中身を飲んでしまい空になったペットボトルを、どのように処理したか、というお話です。

 

 

皆さんは、ペットボトルを単なる「モノ」として考えていると思います。

 

でも実際にペットボトルは、「ペットボトルという存在」として、この地球に、今現在、私たちと同じように、「存在」しています。

 

つまり、「ペットボトルという存在」は、ただの「モノ」ではなく、「存在」としてここにあり、ということは確かに、輪廻転生システムの中にあり、輪廻転生していることになります。

 

 

その「ペットボトルという存在」の輪廻転生の回転する先、つまり未来の回転の状態を、AさんとBさんは、まるで違う状態にしています。

 

 

それは一体、何を意味するのでしょう?

 

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■追記11月24日

十如是の「力」と「作」の順番が間違っており訂正致しました。

失礼致しました。

 

 

地球の魂と身体のお話

 

「一方向へ進む回転システムにより、次元を超えて存在が続く状態」

 

「輪廻転生」を量子生態学の視点で定義すると、こんな感じです。

 

この「存在」をお釈迦様は、私たちにもわかりやすいように、人間を宇宙自然界の存在として「魂」という呼び方を用いました。

 

つまり、「存在が一方向へ進む回転」が、「魂がこの世とあの世を行ったり来たりしている状態」です。

 

 

 

ところで世の中にある、あらゆるもの、あらゆる状態は、「存在」です。

 

動物も植物も、雨粒という水も、水道水の水も、水道の蛇口も、全て「存在」の一つです。

 

でも、そればかりではありません。

 

音というのは目に見えません。

でも、確かに、音があることを私たちは理解しています。

 

つまり、「音は存在している」のです。

 

音にも色々なものがありますが、それぞれの音がそれぞれに、発生したら消え、また発生したら消え、と「輪廻転生」しています。

 

 

感情も同じです。

 

例えば、親が「子供のことを心配する」という精神状態、誰かが誰かを「心配する」という精神状態も同じです。

 

人が感じたことや思ったことは、その人以外の誰にもわかりませんし目に見えることもありませんが、「思う」「感じる」なども、確かにその感情を持った人の中には、「その感情が存在している」のです。

 

そして感情もまた、輪廻転生しています。

 

「心配」が起きても、いつか解消し、また「新たな心配」が生まれて解消し、と、感情という存在が輪廻転生しています。

 

このように、ありとあらゆるもの、ありとあらゆる状態は、全て「存在」であり「輪廻転生」しているわけです。

 

 

私たちが生きる「地球」も、「存在」の一つです。

従って当然、「輪廻転生」しています。

 

ということは、地球も、お釈迦様の言うところの「魂」を持つわけです。

 

量子生態学的には、地球も「存在」という「魂」を持ちながら、人間が肉体を持つのと同じように、地球という天体の身体を持って存在していると言えます。

 

「そんないい加減なこと言うな!」と思う方もおられるかもしれません。

 

でも、少し考えてみてください。

 

皆さんの身体には、たくさんの細胞があります。

細胞の状態により、臓器や骨や筋肉や血管などとして「存在」し、様々な働きをしています。

 

それ以外にも、体内には様々なものがあります。

 

例えば、皮膚には常在菌という菌が存在していますし、腸内には腸内細菌という生き物も存在しています。

 

常在菌の中の悪い菌が増えると皮膚が弱くり、腸内でも悪玉菌が増えると病気になりやすい傾向になります。

 

でも、良い菌が増えると皮膚の状態は良くなりますし、腸内細菌も善玉菌が増えると健康になります。

 

とは言え私たちは、常在菌や腸内細菌を人間と同じように見ていません。

 

細菌類とは単なるものすごく小さな生き物に過ぎないと考えており、人間と同じように意志を持つものとは見ていません。

 

自分の思いとは関係なく生きる、単なる生き物というような認識しかありません。

 

一方の常在菌も腸内細菌も、同じです。

 

菌達は、自分が人間という意志を持った肉体の中の存在しているなどと、考えてみたことが無いと推測します。

 

例え、腸内細菌が存在するその肉体の持ち主が、腸内細菌に向かって、私を健康にしてちょうだいと呼びかけていても、恐らく理解できないでしょうし、そもそもその声が聞こえるかどうかわかりません。
 

 

こんなふうに、私たちとは直接交流して意思の疎通は果たせないけれども、腸内細菌は自分の健康にものすごく影響しています。

 

 

地球と人間も、この状態と同じなのです。

 

 

地球という、とてつもなく大きな物体は実は人間の肉体と同じかもしれません。

とすると、人間は腸内細菌みたいなものです。

 

そして、地球に声があるとしても、私たち人間にはまるで聞こえません。

 

そもそも、地球に声はあるなどと、私たち人間は思っていませんし、想像だも出来ていません。

 

けれども人間の活動が、地球にとって良いか悪いか次第で、地球の状態が左右されてしまいます。

 

善玉人間が増えれば地球は良くなるでしょうし、悪玉人間が増えれば地球は悪化するでしょう。

 

そんな地球も存在しているのですから、輪廻転生をしていることになります。

でもそのサイクルは、人間の寿命と比較すると想像を絶するほど長く、今わかっているのはおよそ40億年、ということです。

 

 

人間と細菌類、地球と人間、まるで違うもの同士ですが、視点を変えると、このようにとても良く似た仕組みの中に存在しています。

 

人間と腸内細菌の関係と同じような関係で、地球と人間が存在するとしたら、地球という存在と、人間という存在は、「輪廻転生」のシステムの中で、どのように影響し合うのでしょう。

 

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実はこのブログは、構成案も無く、下書きも無く、漠然としたイメージの中で、前回のお話を元に、しりとりのように内容を引き継ぎながら思いつきにより記しています。

 

その上に文章能力が低いので、少しわかりにくいかもしれません。

ですから、難しくてわかりにくかったり、内容がちぐはぐだったりするかも知れません。

 

そのときは、遠慮無くご指摘下さい。

 

とにかく、お伝えしたい内容を、一人でも多くの皆様に、しっかりお伝えしたいと思っています。

 

本日も、少し長くなりました。

ごめんなさい。

 

また、次回の土曜日に、更新致します。

 

お詫び

本日は記事の更新日ですが、申し訳ございません、更新できませんでした。

 

ただいま、畑作業繁忙期です。

通常の会社のお仕事、家事、その他雑用、に加え畑仕事、出荷の中で、毎週更新2回はきつかったと、反省しております。

 

さらに意志薄弱の私は、夕餉の晩酌の誘惑に勝てず、ついつい本日も飲酒してしまい、もはや集中力が働きません。

 

よって、ブログ開設早々に関わらず、誠に勝手ではございますが、週1回土曜日更新に変更させて頂きます。

 

で、次回は、こうした、身勝手な行為も、事実として森羅万象に刻み混まれるという、そんなお話を記したいと思います。

 

なお、ただいま繁忙期ののがみ農場の作物・ぎんなんは、栃木市藤岡町の道の駅みかもと岩舟フルーツパークの花野果広場に出荷中です。

ご縁がありましたら、お引き立て下さいませ。

 

 

ごめんなさい。

 

お休みなさい。

 

輪廻転生は、宇宙自然界のシステム

今日は少し長いですが、説明で必要なので、ごめんなさい。

 

 

さて、樹林さんが、人生を掛けて果たそうとしたのは、輪廻転生に関わることでした。

 

樹林さんと輪廻転生の関わりは後にして、まずは輪廻転生のことをお話ししましょう。

 

 

輪廻転生と聞くと多くの皆さんは、魂とか霊魂が生まれ変わることを想像すると思います。

 

この世には「魂」という存在があって、一人の人間として死んでも魂はあの世に残り、また新しい人間として生まれ変わる、という考え方です。

 

でも実際には、魂が存在することを、誰も科学的に証明できていません。

 

ちょっとお話がそれますが、どうやらあるらしい、という証明を試みた方はおられます。

 

死ぬ間際の生き物を重量計に載せて測定したら、死の直後にほんの少し軽くなったのでその重さが魂と思われる、という研究です。

 

生き物は、ネズミだったと思います。

川田薫という先生の実験で、この研究内容は本に書かれています。

今から20年以上前、私も無機元素のことで一〜二度お目にかかったことがあります。

 

このように普通は、「魂」は「物質」と捉えています。

この理解は、かつての私もそうでした。

 

でもどうやら魂は物質として実在するものでは無い、というのが量子生態学を整える中で、私が気付いたことです。

しかも、輪廻転生は魂だけのシステムでは無く、宇宙自然界そのものが輪廻転生というシステムの中に存在している、ということでした。

 

そんな事実を、どうやらお釈迦様は、十分ご存じだったらしいと思われます。

 

それを「色即是空、空即是色」という言葉に表現されたようですが、お釈迦様が登場した頃、私たち人間は、その意味を理解できるレベルにありませんでした。

そこで魂という、物質の例えを作り、輪廻転生という仕組みを一般の皆さんにもわかるようにしたと考えられます。

 

 

では、魂の真実とはどんなことなのでしょう。

 

量子生態学の視点で、宇宙自然界の輪廻転生を説明しましょう。

 

 

「輪廻」は、仏教の教えとして登場した用語です。

人間の魂はもちろん、あらゆる生き物が生死を繰り返し、この世とあの世を行ったり来たりしていますよ、というのが仏教の教えです。

 

輪廻の文字を見るとわかるように、輪廻の様子は、車輪の回転を例にした言葉で、回転する様子で行ったり来たりを表現しています。

ただしタイヤと輪廻には、大きな違いがあります。

タイヤは機械的にバックして逆回転ができますが、「輪廻」の回転に逆回転はありません。

 

お釈迦様が説いた「輪廻」は、「同じ回転システムが、一方向で進む状態」です。

 

人間や植物や動物のように、生きとし生けるものを仏教では「衆生(しゅじょう)」と呼びます。

お釈迦様は、仏教を学ぶ人々が理解しやすいように、自分という生き物を含む全ての意味で、「衆生は輪廻転生しています」と教えたのですが、実は生き物ばかりではなく、「自然界に存在する全てに輪廻がある」というのがお釈迦様の言う本当の輪廻転生の教えです。

 

 

私たちの、日々の生活で見てみましょう。

 

 

まずは、時間です。

時間も、輪廻転生しています。

 

朝 → 昼 → 夜、という3つの時間が一日という時間の回転になっていて、毎日毎日必ず同じ順番、すなわち朝昼夜の順番で廻ってきます。

 

朝昼夜という一日が集まって生まれる一週間も、月曜日 → 火曜日 → ・・・ 日曜日と、一週間という単位で回転しています。

週の回転が月の回転を作り、月の回転が一年の回転を作りますが、一巡りしたら必ず、次の一巡りの回転に繋がります。

 

それは、常に新しい回転に繋がっていて、前の回転とは違う回転になっています。

 

でも、いずれも、「時間という存在の流れ」として同じ流れで存在しています。

 

 

 

空から降る雨も、同じように輪廻転生しています。

 

海の水が蒸発して水蒸気となり、空へ登ります。

空へ登った水蒸気は、冷やされて雨に変わり、風に流されて山や陸へ降り注ぎます。

山や陸へ降った雨は、川を伝い流れ、海へ流れ戻ります。

そして再び、海の水は蒸発し、空へ登って行きます。

こうして水は、海と空の間を輪廻しています。

 

でも、蒸発して雨になる水滴は、元の水とは違う存在です。

同じ水滴ではありません。

元の水滴と違う、新しく生まれ変わった水滴となって、輪廻転生を繰り返しています。

 

でも、「水という存在の流れ」に違いはありません。

 

 

 

私たちが生まれる家族の繋がりである、「家系(血筋とも呼びます)」も同じです。

 

先祖代々、その家系(血筋)の中の一人として、私たちは生まれます。

 

例えば、私の家系「野上家」では、私と旦那さんは野上家という流れの中に、「誕生 → 人生 → 死」という家族としての人生の回転を持って存在しています。 

 

その前には、nogapapaのお父さんとお母さんが野上家の流れの中に、「誕生 → 人生 → 死」 という家族の回転として存在があり、その前のひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも同じです。

 

そして子供たちも、「野上家」という家系の中で、「誕生 → 人生 死」という家族の回転の中に存在しています。

 

子供たち、私たち夫婦、祖父夫婦、ひい祖父夫婦、これらの家族の回転は、どれも同じ回転は無く、常に新しい家族として存在が生まれ、新しい回転として繋がり切れることはありません。

 

そして、「野上家という家系の存在の流れ」です。

 

 

こんなふうに、時間も、雨のような物質も、人間も、家系という目に見えない存在も、常に一定の回転を起こしながら、常に次の新しい回転へと繋がり、転生して存在しています。

 

 

これが、お釈迦様が説く「輪廻転生」の本質です。

そして究極の輪廻転生する存在が元素原子達で「量子」の世界なのすが、このお話はまた改めて致しましょう。

 

 

輪廻転生というシステムは、魂ばかりで無く、物質はもちろん、時間という存在にも、家系という実体がない概念にも採用されていて、このように宇宙自然界に存在があるあらゆるものに、森羅万象の全てに、適合される仕組みになっています。

 

それは、物質や時間や家系に限らず、「存在」という事実がある限り、この宇宙という自然界に「存在」する限り、嫌でも輪廻転生のシステムが適用されるのです。

 

 

ということは、時間や物質や家系の回転の流れと同じように、「あなたという存在」があるのなら、そこにも、この輪廻転生のシステムが適用されていることになります。

 

でも人間として肉体が死んでしまうと、物質としては消滅しますから、「あなたという存在」は見えなくなってしまいます。

そこでお釈迦様は、「あなたという存在」が輪廻転生の流れの中にあることをわかりやすくするために、「魂」という目に見えない物として、例えの呼び名を使って説明したわけです。

 

特に「魂」という物質があるわけではなく、時間や家系という存在があるように、「あなたという存在」「わたしという存在」「○○さんという存在」のように、存在という流れがあり、それは輪廻転生している、というのがお釈迦様の教えなのですね。

 

 

量子生態学は、自然界のシステムを説明する学問で、量子生態学を基に輪廻転生を読み解くとこんな説明になるのですが、それにしてもお釈迦様はもの凄い観察力をお持ちだったと感心せざるを得ません。

 

少し難しいかも知れませんが、何となく理解頂けたでしょうか。

 

 

そんな輪廻転生の元では、あらゆる全て、あらゆる存在の全ては、新しく生まれつつあります。

 

そして樹林さんは、新しく生まれつつある流れを使い、自分という存在を整えようとしていました。

 

 

★ここまでのお話の目次はこちらです★

 

 

今の姿を作ったのは過去の自分と縁

「人生は十段階で作られる」というのが、ここ数回の本ブログの記事で、樹木希林さんの人生観を交えながらお話を進めています。

 

 

 

ここまで説明したのは、レベル1=相 → レベル2=性 → レベル3=体 → レベル4=力 → レベル5=作  → レベル6=因 レベル7=縁、の7段階までです。

 

 

今日も、お話をおさらいしてみます。

 

私たち人間は、この世に生まれ、間もなく自分の個性を発揮しながら育ち、自分のチカラで行動できるようになります。

 

自分の意志を表現することで、他の人やものや環境に影響を起こします。

 

自分が起こす考えや行い次第で、周りの人や物や環境が、良くも悪くも変わります。

でも、周囲の人や物や環境が良くならないと、自分の生活環境は良くなりません。

 

だから私たちは、良い考えを持って良い行動をすべきですよ、と言うのがお釈迦様の教えです。

 

ただしそこには、「縁」という周囲のあらゆる環境に影響されるシステムがありますよ、というのが前回までのお話でした。

 

 

で、今日は、8段階目です。

 

こうして1段階から7段階まで進むことで、「結果」が生まれるので、「今の自分の人生」という結果が作られます。

 

それがレベル8=8段階目の「如是果」です。

 

 

8段階目は、「如是果(にょぜか)」と言います。

 

 

前回までの例え、赤ちゃんが泣いて自分のチカラで、お母さんの洗濯仕事を止めてミルクをもらうお話を進めます。

 

お母さんは、赤ちゃんが泣き出したので洗濯物を干すのを止め、先に赤ちゃんにミルクをあげました。

それが結果的に洗濯物を濡らさずにすみ、良い状態をもたらしたお話でした。

 

では、お母さんは、この状況をどう思ったでしょう。

多分、お母さんによって変わるでしょう。

お母さんにより、色々な考え方があるとことを、何となく想像できますよね。

 

 

あるお母さんは、「赤ちゃんが泣いてくれたので洗濯物を干さずに雨に濡れなかったわ、ありがとう赤ちゃん!」と感謝しました。

 

あるお母さんは、何にも感じませんでした。

 

あるお母さんは、洗濯物を自動乾燥機で乾かすので雨の影響はありませんでした。でも途中で泣かれたので、「洗濯の途中なのにうるさいわ、終わってから泣いてくれればいいのに、あなたは困った子よ!」と、不満を赤ちゃんに聞かせました。

 

 

お母さんによって、このように考え方に違いが出ます。

 

この違いが、「縁」の違いです。

 

例えば、この3人のお母さんに育てられた赤ちゃんが、どうなるか想像してみます。

 

 

感謝するお母さんに育てられた赤ちゃんは、色々なことを幸せに感じる子に育ちました。

だからいつも楽しそうなので、他の人もいつもニコニコしてその子を見ていました。

 

何にも感じなかったお母さんに育てられた子は、とても普通でした。

普通に不平不満はありましたが楽しいときは笑っていて、とても普通で、他の人も普通にその子を見ていました。

 

お母さんから不満を言われて育った子は、いつも叱られてばかりで、何をしても満足できずにいました。

何をやっても自信が持てず、生活していても面白くありませんでした。

いつも怒ったような嫌な顔をしているので、他の人は、その子を眉をひそめて見るようになりました。

そうなると、その子はさらに面白く無く、やがて、いつも暴れるようになってしまいました。

 

 

こんなふうに、お母さんの人格という「縁」次第で、赤ちゃんの今の人生の「結果」が変わる可能性があります。

 

けれども、十如是の縁以外の部分を変えることで、結果も変わります。

縁以外の部分とは、自分の生き方に関わる部分です。

 

例えば、もう一人、お母さんから不満を言われて育った子を想像してみます。

 

不満を言われてもその子は、悪いところを直そうとして一所懸命に生きていました。

 

悪いところを直せると嬉しいので、そんな時はニコニコしていました。

周りの人は、一生懸命に生きているその子の様子を見て、やはりニコニコして見守ってくれました。

やがてある人が、その子の努力する姿を見て、とても素晴らしい就職先を紹介してくれました。

 

というように、同じ「不満を言う母親」という「縁」を持っても、自分次第で結果を変えることが出来ます。

 

そして、自分次第で出来る部分をちゃんとすることで、良い人生になりますよ、とお釈迦様は教えてくれているわけです。

 

 

でも、赤ちゃんは、産んでくれるお母さんを選べません。

前回も記しましたが、「縁」は、自分で選べる「縁」と選べない「縁」があります。

 

やっかいなのは、選べない「縁」です。

 

生まれた国、生まれた家柄、親の人格、持って生まれた遺伝子による顔つきや体格、などなどは、どうやっても、自分で選ぶことができません。

 

世の中には、自分で選べない「縁」があります。

 

それを、どう捉えてどう考えるか、というのが、お釈迦様の教えの最も大きなテーマです。

 

実は自然界は、この選べない「縁」でできているんです。

 

 

お釈迦様は、それを一言で、次の様に表現しました。

 

 

「輪廻転生」

 

 

そして樹林さんは、この自然界の現象に、人生を掛けて挑戦していました。