因縁因果と3千円の御香典のこと

私たちが思うには、樹林さんの人生哲学の基礎となっていたのは、法華経による因縁因果の教えだったと考えます。

教えの要点は、大きく3つです。

 

一つは、全ては連続した繋がりの中で存在していること。

 

一つは、繋がっている故に、過去に起きた出来事が原因となって今が作られること。

 

一つは、その原因は、全て自分が作っていること。

 

 

つまり、「あなたの現在の姿は、あなたが歩んできた日々の結果ですよ」という教えです。

 

 

この教えをお釈迦様は、「十如是(じゅうにょぜ)」という言葉で原因と結果の繋がりを説明しました。

十の段階を経て、人生の結果が少しずつ表現されますよ、という内容です。

 

簡単に説明しましょう。

 

1段階目「如是相(にょぜそう)」

きっかけは相で、まず目に見える状態が生まれることから始まります。

ここでは、赤ちゃんが、この世に身体を持って生まれたことを例に説明します。

赤ちゃんが誕生し、一人の人間として、この世において目に見える状態になりました。

目に見える状態を「相」と言いますが、人相の相も同じ意味です。

 

 

2段階目「如是性(にょぜしょう)」

少し時間が経つと、赤ちゃんによって個性が出てきます。

これが「性」で、「性格」でお馴染みですよね。

いつも泣いてる赤ちゃんとか、おとなしい赤ちゃんとか・・。

 

3段階目「如是体(にょぜたい)」

そんな赤ちゃんのそれぞれの個性が、その赤ちゃんの身体を作って行きます。

例えば、泣いてばかりいるけど元気な声でミルクもたくさん飲みすくすく育ったとか、おとなしくてよく寝るので健康に育ったなどなど・・・。

 

4段階目「如是力(にょぜりき)」

身体が整ってくると、自力で何かを果たすパワー=力=チカラを持つようになります。

そのチカラによって、自分以外の人やものや環境に、様々な影響を起こすようになります。

赤ちゃんがお腹が空いたとき、泣いてお母さんを動かします。

赤ちゃんは、泣くという自分のパワー=如是力により、お母さんを動かすわけです。

 

5段階目「如是作(にょぜさ)」

チカラで回りを動かすと、それに影響される人や物や環境の中に作用が生まれます。

お腹が空いて泣くことでお母さんにミルクをねだるわけですが、そのとき例えば、お母さんは洗濯物を干そうとしていたとします。

赤ちゃんが大声で泣き出したので、お母さんは洗濯物を干すことを止めて慌てて赤ちゃんの所へ行きました。

様子を見て、ミルクだと理解し準備を始めました。

これが、赤ちゃんが発揮した力によって生まれた作用です。

赤ちゃんは泣くというチカラ=如是力を使い、お母さんが洗濯物を干すことを止めてミルクと作るという如是作=作用を起こしたわけです。

 

6段階目「如是因(にょぜいん)」

作用は、お母さんの次の未来に影響を及ぼし、変化の原因となります。

お母さんがミルクを作って赤ちゃんに飲ませている間に、すっかりお天気が変わり雨が降り出しました。

でもお母さんは、赤ちゃんのお陰で、洗濯物を干さなかったので濡らさずに済みました。

赤ちゃんが起こした作用により、お母さんの洗濯物に対する未来は、すっかり変わってしまったのです。

もし、洗濯物を干し終わってから赤ちゃんが泣いたら、ミルクをあげている間に雨が降り出し途中で止められなかったかもしれません。そのときは、洗濯物はすっかりびしょ濡れになった可能性があります。

そうなるとお母さんは、もう一度洗い直すとか、家の中で干し直しすると、コインランドリーへ行って乾燥機で乾かすとか、違う未来へ進むことになります。

こんなふうに、作用が原因となって、未来の結果が変わるということです。
 

 

途中ですが、ここで樹林さんの冠婚葬祭のお包み一律¥3,000-の理由を説明します。

冠婚葬祭と書きましたが、ちょってネット検索したら、香典=¥3,000-、結婚式のお祝いは¥8,000-だったようです。

それはどんな人でもどんな場合でも、分け隔て無く同じだったとのこと。

 

いずれにしても、その理由はなんだったのでしょう。

そこに見るのが、この十如是の「如是作」と「如是因」です。

 

 

樹林さんとnogapapaに法華経を教えてくれた先生は、こんなことをnogapapaに教えてくれていました。

恐らく、樹林さんも同じ事を教えられたと思います。

 

 

この先生には、たくさんの法華経を教わる生徒さんがいたのですが、絶対にお土産品を受け取りませんでした。

理由は、こんな考えからでした。

 

 

「お土産を持ってこられない人の気持ちを考えなさい」

 

 

何でも買える人は立派なお土産を買ってきて先生に贈ることができますが、中にはお金が無くて何も買えない人がいるかも知れません。

先生の所でそんな二人が一緒になったら、お土産を持たないで来た人は、申し訳ない気持ちを持ってしまいます。

人によっては、お金が無いことを恥ずかしく思ってしまうかもしれません。

 

つまりこの行為は、お土産が買えない人にとって、悲しい気持ちを起こしてしまうのです。

 

それは、お土産を買えるお金を持っている人の「チカラ」が、お土産を買えない人に影響して悲しい思いをさせるという「作用」を起こしてしまうことを意味しています。

 

お金持ちの人は、お金を持たない人を悲しくさせる、「原因」を作ってしまったわけです。

 

 

樹林さんは、どの人に対してもどんな場合でも同じ金額にすることで、差別無く接することを心がけていたと思います。

 

それも大金を包むでもなく、どんな境遇の人でも常識的な範囲で気持ちを表現できる金額を、選んだのだろうと思う次第です。

 

でも、勇気がありますよね。

 

私たちだったら、「こんな金額だと笑われないかな」と、自分のプライドのことしか考えませんけど、樹林さんは女優さんという、あれこれ噂されたり指摘される立場なのに、自分への評価では無く、人に対する影響力を考えて行動していたわけです。

 

それは、お釈迦様の教えを踏まえていたと共に、周りの人へ影響を考える=思いやりを持つという、人としての深い愛情をお持ちだったからだろうと思います。

 

 

こんなふうに、自分の行いが知らず知らずのうちに人に「作用」して、人の感情を左右したり人生を変えてしまう「原因」を作ります。

だからお釈迦様は、良い作用を起こして良い原因を作りなさいと教えているわけです。

 

 

私自身も振り返ると、自分が人に及ぼす影響を真剣に考えてこなかったし、お釈迦様の教えとしてわかってるけどついつい忘れてしまう、というのが率直なところです。

 

でも、やはり、日々、気をつけなければと思います。

 

皆さんはいかがですか?

 

 

 

樹木希林さんのこと

先頃、樹木希林さんが亡くなられました。

 

内田裕也さんと別居結婚を続けたり、冠婚葬祭のお包みは一律3000円だったとか、本木さんに養子になって内田家を継いで欲しいとお願いしたり、テレビで拝聴するご意見は飾り気無く忌憚ないながら愛情溢れる雰囲気だったり・・・・。

 

樹林さんは、独特の個性をお持ちながら、嫌みのないお人柄でした。

 

それにしても、何故、あのような生き方をされたのでしょう。

 

一部の方はご存じかと思いますが、樹林さん、法華経を読みお釈迦様の教えを学んでおられました。

 

法華経は、仏教の教えを書いた教本の一つですが、人間が、日々をどのように暮らしたら良いかのコツを、比較的わかりやすく解説したものです。

それ故に、数千あると言われる仏教本の中、法華経を愛読する民間人が多いのだろうと思います。

 

樹林さんもまた、一般庶民でありながら、法華経で日々の生き方を学んでいたわけです。

 

そしてnogapapaこと私の旦那様の野上昭治も、昭和43年に法華経と出会ってから現在までの50年間、ほぼ毎日、法華経の教本とおつきあいする一般人の一人です。

 

実は、野上昭治に法華経を伝授してくれた先生が、樹木希林さんに法華経を伝授した先生と同じでした。

 

同じ先生から法華経を学んだと言っても、樹林さんとは、ただの一度もお目にかかったことはありません。

でも先生が同じでしたから、樹林さんの生き方が先生を通した法華経の学びの結果として映されたものであったことを、私たちはテレビを通ながらとても良く理解できました。

 

ここ数回は、樹林さんの人生を、同じ先生から学んだ法華経の教えを通して、また量子生態学の視点から、私たちなりの解説として書き連ねたいと思います。
 

 

樹林さん、あなたの人生について、私たちが推察で解説することをあの世で笑いながら大目に見てくださいますよう、お願い致します。

また本木さんご夫妻には、大切なお母様について法華経を通した人生観を、私たち第三者が推察を持って解説することを、ご容赦お願い致します。

けれどもこのお話は、どなたかの人生にきっと、何らかの良い形となって反映されるだろうと私たちは考えています。

どうぞ、この思いをご理解ください。

 

樹林さんのやすらかなご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 

 

最初は、お釈迦様の教えの一つ、「因縁因果」と樹林さんのことです。

 

来週水曜日に掲載予定です。

 

なお本ブログは、毎週、水曜日と土曜日に更新致します。

 

 

生きる意味を持ってみて

こんにちは、nogamamaこと野上導子です。

 

この度、ブログを開始しました。

よろしくお願いいたします。

 

 

早速ですけど、お話を始めましょう。

 

 

今から30年くらい前のこと。

私も夫も、病気持ちでした。

けれども、いつのまにか、二人とも健康になりました。

 

健康になった原因の一つに、食べ物やお水の質に気をつけたことがありました。

口に入るもの次第で、人は健康にも病気にもなる、そんなことを知りました。

 

当時の私の仕事は、公園緑地計画です。

その頃、技術は進化しつつあり、リモセンことリモートセンサーという技術が登場し始めたところでした。

 

リモートセンサーとは、「遠くから測定する」ことです。

例えば、飛行機を飛ばして空から温度センサーで、地上の温度を測ったりすることです。

そんな技術により、都市部がヒートアイランド現象を起こしていることがわかり始めていたころです。

 

同じリモセンで、アマゾンの森林もどんどん剥げてきたことも写真で測定できましたし、夜中でも日本列島は明るく、くっきりと列島の形が浮かび、自然の植生に影響ないのかなあ、そんなことを思いました。

 

もしかしたら、やがて自然は無くなるし、東京は環境汚染で住めなくなるかもしれない、食べ物も良質なものが手に入らなくなる・・・。

 

私たち夫婦は、そう感じました。

 

そこで、自分たちで農業を実践して良質な作物を自給自足しようと思い立ち、1999年に栃木県栃木市で就農しました。

 

 

農業を始めて早くも20年。

 

その間、農地という自然から、とてもたくさんのことを学びました。

 

一番大切だと思った教えは、「石ころも生きている」ということでした。

 

 

石ころも生きているなんて、馬鹿なことを、と思うかも知れません。

でも、この様子は、たくさんの土や作物などを顕微鏡で観察したことからわかりました。

それも、福島第一原子力発電所の災害事故から、そんなことがわかりました。

 

ですから私たちは、あの原発事故は人類にとって、もしかしたらとても大切なことを教えてくれた、とても大切な出来事だったかも知れない、そう思いました。

だから、あの災害が無駄にならないようにしたい、そう思いました。

 

そして私と夫は、あの事故をきっかけに、石ころも生きていることを説明する、量子生態学という新しい理論を整えました。

 

東大や京大や東北大学など、何人もの研究者の皆さんにこのことをお話ししましたが、誰一人理解してくれませんでした。

 

でも確かに、石ころは生きていて、その塊である地球も生きている、私たちは確信しました。

 

しかも、その仕組みを、はるか昔のその昔、お釈迦様が知っていたことさえ、わかりました。

 

「色即是空、空即是色」という言葉は、その様子を完結に表現した言葉でした。

 

 

そんなお釈迦様の教えを、nogapapaこと夫の野上昭治は、50年近く、法華経という教えから学んでいました。

 

 

こんなふうに、農業で作物を育て、お釈迦様の教えを学び、石ころも生きていることを知った私たちは、知らないうちに、「何故自分は生きているのだろう?」その答えを、自分なりに持つことができるようになりました。

 

 

最近、お客様との何気ない会話の中で生活の悩みや不満や問題が登場したとき、「そんなに悩みや不満を持って、あなたは何のために生きているのですか?」と問いかける機会が増えてきました。

 

けれども、殆どのお客様は、誰も答えることができません。

ただただ、首をかしげるばかりです。

 

そこで、私たちが持つ答えをお話しするのです。

すると皆さん目を見はるようにして、何となく少しわかったようなわからないような、でもご理解頂いたような様子をお見受けします。

そして、そんな答えを心に持つと、少しばかり、生きる気持ちが変わるようでした。

 

 

「あなたは何故生きているの?」、「何のために生きているの?」

 

 

ここでは、その答えに関わるお話を、気ままに書き連ねようと思います。

 

農業のこと、お釈迦様の教えのこと、食べもののこと、健康のこと、量子のこと・・・・。

 

たくさんの人が、私たちと同じような思いで生きる意味の答えを持つことで、確かに、きっと、世の中は幸せになるかもしれない、そんな希望を持って、つたない文を綴ります。

 

時折、このブログへお訪ねくださると嬉しいです。

 

 

このブログの目次

2018年

10月11日 生きる意味を持ってみて 

10月13日 樹木希林さんのこと

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